歴史と由来

温泉山満明寺 開山

大宝元年(701)2月15日、現在の雲仙の地に文武天皇勅願により

「温泉山満明寺」が開山され、

同年11月2日、最初の寺院「大日如来院」建立される。

開基は行基菩薩。最盛期は瀬戸石原に三百坊、別所に七百坊を有していたという。

 

 

白雀の乱

元亀二年(1571)白雀の乱が勃発し焼失。 仮院にて法灯を継承す。

 

 

島原の乱

寛永十四年(1637)島原の乱により、堂字すべてを焼失。

 

温泉山満明寺一乘院として復興

寛永十七年(1640)島原城主となった高力摂津守忠房の命を受け、
遠州浜松鴨江寺より招聘された当山中興弘宥和尚が温泉山満明寺一乘院として復興。

 

 

磬子と寺紋

延宝八年(1680)7月27日、二世宥誉法印代には、高力氏にかわって
島原城主となった松平主殿頭忠房公によって正式に「温泉山一乘院」として認可。
松平家の家紋である「重ね扇」から扇を一枚取った「一重扇の丸に横一」の寺紋の
使用許可と、現在も一乘院で使用されている寺宝「磬子」を授けられ、
城主の祈願所となる。

 

廃仏毀釈の法難

明治二年(1869年)廃仏毀釈の法難の為、温泉(現、雲仙)より
南串山の歓喜庵に本坊を移転。
これにより温泉山一乘院本坊は、現在の南串山に定まり、
雲仙は一乘院釈迦堂として法灯を灯すことになる。

廃仏毀釈の法難の為首を刎ねられた六地蔵
当院永代供養塔(平成15年12月建立)前に廃仏毀釈の際、
首を刎ねられたであろう六地蔵が祀られている。
刎ねられた首を当院現住職が小石で復元。

 

現在に至る一乘院

かつての雲仙一乘院釈迦堂

 

一乘院雲仙先住墓地
昭和五十五年(1980)一乘院釈迦堂は当山本坊より独立し、
雲仙山満明寺として活動を開始。当山とは法類寺院となる。

昭和六十年(1985)、195年ぶりに本党再建
平成20年(2008)本堂参道外壁改修工事が終了し現在に至る。