ウィーン楽友協会『御詠歌コンサート』を成功させたい!

かねてより開催を夢見ておりました音楽の都ウィーンでの御詠歌公演が、令和5年12月10日、ウィーン楽友協会黄金の間大ホールにて開催される運びとなりました。
楽友協会黄金の間大ホールは毎年正月に全世界に発信されるウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの会場で、世界一とも言われるウィーンフィルハーモニー管弦楽団の本拠地として知られております。
私たちは、ここ十数年、御詠歌とピアノ、バイオリンとのコラボ、また御詠歌の合唱曲の製作、そして御詠歌コンサートの開催等を通じて御詠歌の普及に取り組んでまいりました。
その実績が評価され、奇跡的に上記の公演が決定し、準備を進めております。
出演者は真言宗御室派管長 総本山仁和寺門跡 瀬川大秀大僧正猊下を筆頭に、北海道から九州までの50人余りの詠歌教師の出演が決定し、日々練習に励んでおります。
この事業を執り行うにあたり、仏具、衣体の運搬費や諸経費の一助としてクラウドファンディングを始めることになりました。
多くの方に拡散していただき、出来ればご協力の程お願い申し上げます。
https://camp-fire.jp/projects/700915/preview?token=368sxrnn&utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show
  • 護摩祈願
  • 納骨堂
  • 河童の手

温泉山一乘院は大宝元年(西暦701年)文武天皇の勅願により、行基菩薩が雲仙岳に建立した温泉山満明寺に端を発します。寛永14年(1637)島原の乱の兵火により、温泉山満明寺は焼失しましたが、寛永17年(1640)島原城主高力摂津守忠房の命を受け、遠州浜松の鴨江寺より招聘された当山中興弘宥和尚によって満明寺を復興し、温泉山満明寺一乘院が建立されました。

 

江戸時代は島原藩主の祈願所として雨乞や病気平癒の祈祷を数多く行い、多くの末寺を有していました。

 

しかしながら、明治維新で幕府が滅亡し、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈の法難により、藩の祈願所であった一乘院は藩の擁護を失い、明治2年(1869)当時一乘院の末寺であった当地南串山の歓喜庵(現在の一乘院)に本坊を移転。雲仙は飛地境内となりました。

昭和55年(1980)雲仙飛地境内の一乘院釈迦堂は新たな宗教法人雲仙山満明寺として独立し、一乘院の法類寺院となりました。

 

こうして大宝元年行基菩薩開山以来、温泉山と記されてきた霊峰雲仙の称号は雲仙の地を離れ、南串山の温泉山一乘院の山号としてのみ残ることになりました。 今茲に、千三百年来当山を護持されてこられた歴代先師尊霊の遺徳を偲び、その沿革を後世に伝えるため、このホームページを開設いたしました。